「犬のしつけ」ってどういうことをイメージされますか?
みなさんいろいろイメージが膨らんでいると思います。
訓練をしなくちゃいけないんじゃないか。(毎日時間を割いて外で大声出してとか??)
犬を厳しくしつけろと言われるのではないか。
逆におやつを使ってたくさん褒めて教える。(ふとっちょな子や、アレルギーや病気の子にも??)
なーんか、「違和感」があるんです。
訓練のために、訓練の時間を切り取ってしまうと、「その時間」だけお利口さん。
おやつをあげるために教えれば、おやつを持った「時だけ」、おやつを持った「人にだけ」お利口さん。
「お利口さん限定タイム」とでもいいましょうか。
でも、外では引っ張るんです。家では嫌なことをすると咬んだり吠えたりするんです。
あの「お利口さん」だった我が子は何処へ~~~~・・・?
飼い主さんは、何のために訓練の時間を切り取って、何のためにおやつを準備したのか。
そこに気が付かないといけません。
では、なぜ散歩で引っ張るのか。どうしたら改善するのか。
これを考えて、解決へのイメージを膨らませる。
そこで自分の身ひとつで足りない部分を補うのが「訓練」や「おやつ」で補うものかと思います。やり方だけをただこなして無駄に終わるのは、そういう準備がかけているかもしれませんね。
犬に落ち着き方や飼い主の言うことを理解できるよう伝えるのが飼い主の役目なら、
飼い主は「道」を作り「答え」というゴールに犬を誘導することで、やっと「褒めて」あげられます。
「道」を作らず、「答え」をもたないのに、形だけの訓練やおやつは犬に何の学習も与えません。
私は、訓練の時間を設けることはいたしません。
生活の中で、犬と飼い主がつながるために必要なことを考えます。
生活の質を上げるってことです。(大事でしょ?子供を思う親として)
こどもに「挨拶」や「食事のマナー」など基本的なことを教えるのと一緒なんです。
人に出会ってもいないのに、挨拶の練習をさせますか?
親が挨拶を教えるのは、他人に出会ったときですよね。
食事のマナーを食事以外の時間を設けて教えますか?
食事中に粗相があったときにこそ、伝えていますよね。
散歩を「想定した散歩の訓練」ではなく、散歩のときにこそ、ひとつひとつ教えながら歩くことをぜひ感じてもらいたいです。
おやつがゴールではないので、おやつがないときにも有効になるまでお付き合いいたしましょう。
おやつを見せびらかして何かをさせるのは、
お金を見せて、宿題が終わったら「これ」あげると、言っているようなものです。
そこに信頼関係がありますか?子供は宿題を自分のためだと思ってやりますか?
おやつやお金を見せたときのわが子の興奮のそこには「学習する頭」は存在していないことに気が付いてください。
自分が良かれと思ってやったボランティア。そこに感動した親がくれたお金。
そこには自分への驚きがあります。
「え、これをしたらもらえるの!?」
でもそのボランティアをするまでになったのは親の育て方です。
これは、立派な「成長」の手助けに思えませんか?
日常の中に飼い主が犬のために敷いた「答えへの道」が散らばることで、生活の質を上げることにつながると思います。
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